アドラステアとオーソシエの話。
ルーンがうんたらって部分は、ネット知識半分捏造半分なので適当に読み流しといてください。

「おーい」
すぐ後に、自分の名が続けられたことにより、オーソシエは顔を上げた。
分厚い本を閉じながら、読書を妨げられた苛立ちを隠そうともせず、常よりも深い皺を眉間に込めて、扉一枚を隔てた先にいる男へと眼差しを向けた。聞き慣れた声。誰かなんてことは、問わずとも分かった。
大学構内のとある一室。ルーン学を専攻しに入ってくる学生は毎年微量にいるが、院まで進む人間は滅多にいない。学べる事が少なく、あまり解明されていない分野であり尚且つ、残されている文献はごく僅か、応用のしにくいものなのだ。故に学校側もあまり力を入れていないらしく講義は緩やか、自由奔放な形態である。微量に入る学生というのも、おおよそは勉強熱心でない、単位目当ての人間が多い。そんな有様を、けしからんと憤慨するのがオーソシエ、まあ人それぞれさ、と宥めるのがアドラステアである。あらゆる面で相反するこの二人のみが在校する、ルーン学専攻の院生であり、オーソシエの居るおよそ十畳ほどの教室が、院生の専用研究室だった。自由に出入りすることが許されているのは二人だけで、それゆえにほとんど私物化され、二人は入り浸っている。それなりにうまくはいっているということだ。
「…なんだ」
アドラステアが、彼ら専用の部屋だとしても、人がいると知ると、声をかけなければ扉を開けようとも、この場を立ち去ろうともしない人間であることは、数年の付き合いから知ったことだった。声を発してややもすると、建付けが少しずつ歪みはじめたスチールの扉が、小さい軋み音をたてながら、その長身を露わにした。
「ねえ、聞いておくれよ」
待ちきれないとばかりに、半分ほどしか開いていない扉の隙間を抜け、オーソシエの座るデスクへずかずかと向かってくる。後ろ手に閉められた扉は、一瞬、外とのつながりを完全に遮断したものの軽い衝撃音と共にバウンドし、細い隙間を作った。完全に沈むその瞬間まで、役目を果たそうとする西陽が差し込み、アドラステアの束ねた長い金髪を赤く照らした。いつものことである。そしていつものように、オーソシエは更に目を細め、正面に立つ彼に向ける眼光を鋭くした。
「オーソシエくん。君に、頼みがあるんだ」
その視線を意にも介さず、アドラステアは、いつもの得体の知れない微笑みを崩さないで矢継ぎ早に続けた。はつらつとした口調に反して、凪いだ海のような静かな瞳は、いくら目を凝らしても真意を汲み取ることは出来ない。オーソシエは、友人の細長い指に挟み込まれ差し出された一枚の紙へ視線を落とし、やっと初めて見当がついたようだった。
「なんだ?そんなことなら私がやらずとも…」
「これをね、俺の身体に刻んでほしいんだ」
予想外の言葉に、オーソシエは顔を上げた。胸もとに手をあてがい、こちらを見つめている。緩やかに結ばれた口元に、穏やかな眼。本気なのか、冗談なのか。一度だって読み取れたことは無いのに、思わず探ってしまう。そんな突拍子の無いことを言い出すところもまた、この男の常だった。
「刻むっていっても、彫るとか、そういうことじゃなくってね。君の力が入った石でなぞってくれれば、出来るはずなんだ」
「おい、そういう問題では……人に、だって?そんなこと…それに…これは……」
再び、紙に目を落とす。見慣れた、ルーン文字でつくられた紋様である。ダエグの文字を円形に連ね、中心にはルーンを発動させるために描く、イングの四角形が大きく置かれている。翅を広げた蝶のような形のダエグは、一つの物事の終わりと、新たな世界への始まりを意味する。そしてそれを、始まりも終わりもない円状に配置する形は、永遠だとか、無限とかいう意味を表しているはずだ。
「君は………」
「そんなに重く捉えないでくれよ、只のまじないだよ。実験さ。生き物の体に作用するかどうか、っていうね」
アドラステアが、冗談だとでも言うように眉をひそめた。それでもなお、オーソシエは顔を強張らせ、その図形に視線を注いでいる。
「だからって…こんな馬鹿げた形にする必要はないだろう…?むしろ、本当に作用したら君はどうするんだ。…永遠の命、なんて…。もう少し…考えて……」
「どうして。実験するんだ、どうせなら大きくいこうよ。それに、これが本当に作用するなら、俺は大歓迎なんだけど」
にこにことアドラステアは柔和な笑みを湛えたまま、しかし妥協する気はないらしい決意に満ちた瞳に、オーソシエは説得を諦めた。
「…ほんとうに、本気か?思い直しは……」
オーソシエは緩慢な所作で術式の用意を整えながら、二つある大きなデスクの一つに横たわった、アドラステアに目をやった。思い切りのつかないその態度に、アドラステアは急かすようにデスクの表明を爪で弾いた。
「あのねえ、たとえ成功したとしても、誰だって出来ることじゃないんだよ。物質への印刻とは違うんだ。大事なのは、技術と想いだよ」
「…は?」
大真面目に発された言葉に、オーソシエは素っ頓狂な声をあげた。
「君は、何を言って、いる……」
「ほらあ、駄目なんだってそれじゃあ。本当に信じて、願ってくれなきゃ。だから、俺にしか出来ないんだ、君じゃなきゃあ、いけないんだ」
いつもより、力の込もった声。信じていいものか。何度も裏切られた気がする。けれど、報われた気もする。オーソシエは自分のデスクに手を伸ばし、手中に収まるほどの小さな、緑の石を掴んだ。幾度となくルーンの術式の発動に用い失敗し、そして成功してきたその石は、鈍い光を放っていた。
「君しか、いないよ。俺の願いを切に祈ってくれる人なんて。君しかいないよ」
穏やかに、哀願するように語る言葉と、真摯に見つめてくる青い瞳から、オーソシエは思わず目をそむけた。
「私が…本当にそんな人間だと君は思っているのか?」
所在ない気持ちを払うように振り向くと、アドラステアの驚いたようにやや見開いた眼が、直後、再び細まっていった。
「…だから、まじないだって、言ったろう?」
くすくすと笑うその姿に、先ほどの哀愁はもう見えない。一瞬一瞬のうちに、目まぐるしく変わっていく。ああ、そういう奴だ。そういう人間なのだ。オーソシエは小さくため息をついて、彼の待つデスクへと歩み寄った。
「ねえ、成功したら君のこと、語り継いでいってあげるよ」
「…結構だ」
はつらつと話すアドラステアは、オーソシエの一番よく知る表情だ。
「もし本当に成功したら、俺は君の子どもも、孫も、君の知らない君の子孫たちまで見ることができるね……」
凪いだ波の瞳が、天井を見つめていた。
「……言っておくが、私は所帯を持つつもりは無いぞ」
「そんなこと言って。そういう人が、甘ーいおじいちゃんになったりするんだよ」
「なっ……全く、どうなっても責任は持たんぞ?」
ーーーーーーーーーー
「そうか……」
アドラステアは、ベッドに寝そべり、独りごちた。眠るわけではない。今では目を閉じても、暗闇が一夜を長く、退屈なものにさせるだけだ。それでも時には無性に、人である証を求めるように、その時間が恋しくなる。
「ちょうど、一年前……だったな」
オーソシエと道を違え、研究室を後にした数ヶ月後。部屋に残したものを取りに帰ったその日。今や遺跡の一部と化したその部屋で、百年近くも眠ることになった日の。
「いつだって、君は素直じゃなかった」
ローブの上から、左胸に手を当てがった。凹凸は無いが、消えることのない刻印がある。
「だから、いつだって信じることが出来たんだよ」
天井に向かって、笑みをこぼした。
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