二階、寝室のドアをノックする。コンコン、と乾いた木の音が小さく響く。
「……旦那様」
扉越しに呼びかけ、もう二、三度叩く。それでも返事はない。いつものことだ。
この間蝶番に油を差したばかりの扉は、音を立てることもなく静かに開く。一人用にしてはやや広めのベッドに、小さなドレッサーとクローゼット、あとは簡素なテーブルセットがあるばかりの寝室。薄いカーテンを越えて朝の陽が射し込んでいる。真紅の厚い絨毯の上は、足音もほとんど立つことがない。先に室内用のシャツとズボンをクローゼットから取り出し、ナイトテーブルに用意する。陽の光が眠りを覚ます気配はなく、ベッドの主は安らかに寝息を立てていた。
「旦那様、朝で御座います」
耳元で小さく囁き、傍にある腰掛けに身体を預ける。ややもすると、安らかな顔が強張り眉間に皺が寄る。小さく呻きながら主人のまぶたがうっすらと上がるのを、じっと眺める。
「うん……あぁ、朝か。……おはよう、アーリン」
「……はい、おはようございます」
眠そうに目を細めながらも、こちらの姿を認めると軽く笑んでくれる。優しく、いち使用人にも気を遣う一家の老齢の主、カミーユ・ジェンキンス。今年で齢五十六になるという。自らの名前すら覚束なかった子供に自身の姓を与え、使用人としては丁重なほど、大事に育ててくれた恩人になる。
上体を起こす主人の妨げにならぬよう、アーリンは半分ほど布団を捲った。主人は緩慢な動作で、ヘッドボードを背もたれにする。アーリンも椅子に座ったまま半身を乗り出し、腹の上で重なる主人の手に触れた。
「ご機嫌はいかがですか」
「……あぁ、今日は良い気分だ」
「本日は天気がよろしう御座います」
「そうか」
「お出かけのご予定は」
「昼過ぎに、一度」
「かしこまりました。お召し物はどのように」
「……少し人に会うが、あまりかしこまらなくていい」
「はい」
「あと、小麦が足りなくなっていたろう。他に足りないものはないかな」
「……いいえ、特には。不足なく御座います」
「そうか。なら、それだけ買って帰ろう」
「はい。では昼食後に外出、ですね。午前中はお部屋ですか」
カミーユが、やわらかく頷く。目で、耳で、肌で調子を計る。血色良く、ドレッサーに備えている白粉も紅も必要ない。応答もつつがなく、おかしな様子はない。体温も平時と変わらず至って健康に見える。心配することはないが、包んだ手を名残惜しく握りしめた。乾いて皺の寄った手は細く頼りないが、同じほどの強さで返ってくる反応に安心して、アーリンは立ち上がった。
「……それでは、朝食を用意して参ります」
一礼し、部屋をあとにする。玄関へ向かい、朝配達された手紙などを郵便受けから取り出す。今日は十二通。辺鄙な場所に使用人と二人きりで暮らす主人は、人を招くこともあまりしない。仕事や友人相手でも直接会うことは難しく、どうしても手紙のやり取りが主になると言っていた。しかし、"外"も主人以外の"人"も知らぬアーリンにとっては手紙の一通一通に相手がいるということも、どこからか手紙が来るということも、主人が買出しに出るということも、像が結べずどこか夢のような話だった。しかし、それを気にすることもない。いつものように軽く束ね、厨房脇の小テーブルに置きに行く。その後厨房で、これまで変わったことのない朝食を用意する。やわらかいモーニング・ブレッドに薄味の野菜スープ、少しのサラダ。既に温めてあるスープをよそい、トレイに整える。手紙と共に寝室へ持って上がり、主人が食事している間にアーリンも厨房で朝食をとる。
冷蔵庫から黒く艶のある腸詰めと、ローストされた薄切り肉を取り出す。カミーユは肉を滅多に食べないが、使用人には頻繁に用意する。食べるのはあまり、作って振舞うのが好きなのだ、とアーリンには扱わせない。ローストビーフ(と彼が教えてくれたもの)をサラダに乗せ、腸詰めはスープの残りに入れ、赤褐色になるまで煮込む。
主人よりもグレードアップした食事を取っていいものか。何故自分の食事は作らない主人が、食べもしない料理を甲斐甲斐しく用意するのか、使用人は不思議に思ったことがない。
いつもの朝、いつもの日常だから。
食事を終えて再び寝室へ戻ると、主人の姿はない。浚えられた食器がテーブルに、脱ぎ捨てられた寝間着はベッドの上に折り畳まれている。食器を厨房へ運び、お湯を沸かしながら皿を洗う。油ものが少ないため、手早く終えられるのがありがたい。一人分のティーセットも用意し、紅茶を淹れてまた二階へと上がると今度は寝室の隣にある書斎──主人の部屋、の前に立つ。こちらにはノッカーがついている。二度鳴らすと、「入りなさい」と中から声が届いた。
「失礼します、食後の紅茶をお持ちしました」
あぁ、と早くも仕事に取りかかっているカミーユが、手紙から目を離さずに頷く。サイドテーブルで紅茶を注ぎながら、ちらりと手紙を盗み見たが、小さな文字の羅列があるばかりで、なんとか読める文字を拾っても意味のわからない言葉だった。はじめの一杯を注ぐと、あとは主人に任せ書斎を出る。昼まではもう書斎を訪れることはない。慣れた足取りで主人の寝室と階下の自分の部屋を回り、抱えた衣類や寝具をリネン室の洗濯機へ突っ込む。屋敷へ来てから一度も換えていない洗濯機はゴウンゴウンとひび割れた音を立てて回り出す。その間に替えの寝具を出し、それぞれの部屋を整える。自分の部屋は手早く、主人の部屋は丁寧に。絨毯に箒をかけている間に、窓から射し込む光が強くなっていた。
ひとまず主人の寝室と廊下を綺麗にして掃除は終える。他の部屋はあまり使わないから日毎に場所を変えて午後に済ませるつもりだ。例外は書斎のみ。カミーユは寝る時と出かける時以外はほとんどを書斎で過ごしている。だが、使用人が掃除をしたり、主人の許可無しに入ることは禁止されていた。それでも、毎日変わらぬ部屋だから自身で掃除しているのだろう。旦那様の仕事や交友関係は一切知らないが、使用人に伝えない、というのはそういうことで、知る必要はないのだ。
アーリンが知っているのは挨拶と料理と、掃除と、洗濯の仕方。紅茶の淹れ方。庭の整え方に、簡単な読み書き。主人の部屋に勝手に入ってはいけないこと。主人以外の人と話したり会ってはいけないこと。庭より外に出てはいけないこと。主人が好きなこと、嫌いなこと、悦ぶこと。幼い頃読ませてくれた絵本の内容。それ以外のことは知らない。主人はたまに、申し訳ないと言うが、アーリンには不満というものが分からない。満たされていて、愛されていて、他に何を望むべくがあるだろう。
リネン室へ戻り、洗い終わった洗濯物を取り出す。絞りながら籠に入れて、日の当たる庭の一角まで抱えて持っていく。今日は風が弱いので干しやすい。自分の背丈以上ある干し竿に一つずつ通しながら、昼食のメニューを考えた。
アーリンは料理が苦手である。いつも味見をして出しているが、この間味がおかしいとお叱りを受けた。いつもと変わらぬ食事を出したはずだった。結局は褒美に賜る阿片というもののせいで味覚が麻痺しているらしい、と慰められたが、その日から以前作っていた料理は出せなくなった。主人に頼み、町で買ってきてもらったレシピ本の通りに作っている。それからは不満を言うことはなく、時には褒めてももらえるが、主人の好みに合わせた「本当に美味しい食事」を提供することは叶わなくなった。これでいいのかしら、とメニューに悩むたびに頭を過ぎる。
そうは言っても、いつまでも悩んでいるわけにはいかない。今日は菜花にニシンの酢漬けを和えたサラダと、たまねぎでとろみをつけた野菜のスープ、小麦だけの白パン、それにカミーユも食べられる肉を使ったベーコンエッグ。アーリンはいつも口にしている肉よりも色が薄く、味も劣ると思っているが、主人はこれしか食べないという。寝室のテーブルに並べ、書斎へ主人を呼びに行く。
「旦那様、お食事の時間で御座います」
ノッカーを叩いてしばらくすると、返事よりも先に扉が開いた。
「あぁ、もうこんな時間か。仕事が多いと、どうしても時を忘れてしまう」
額の皺を伸ばしながら、疲れたように首を振る。主人の手を取り、寝室までエスコートした。
「お忙しう御座いますか」
「……近頃、厄介なことが少しな」
「どのような問題がおありですか」
「……いいや、お前には関係ないさ」
やれやれ、とカミーユは再び首を振った。左様で御座いますか、と応えた後、その話には触れない。このような弱音を吐くこと自体珍しいのでよほど困難な事情なのだろうが、関係ないと言われれば一介の使用人には関係が無いこと。
二人で寝室へ入り、主人を席に着かせる。自分も供していいと言われたので、同じメニューを運んだ。
ゆったりと食事を楽しみ食後のお茶まで終えた頃には、時計は十三時を過ぎていた。出かける準備を手伝い、外出用の服を着せていく。
「戻るのは、夕方になるだろうが……くれぐれも訪問には応えないように」
「……はい。どなたかいらっしゃるご予定でもありましたか」
一、主人以外と会話をしてはいけない
一、主人の客人が館に来る際は身を隠すこと
幼い頃から何度も聞かされてきた主人との約束。破ったことは今までない。こうして改めて言われることも、復唱させられるのも、数年ほどなかったはずだ。
「そんな予定はないが……くれぐれも、だ」
「……はい、勿論。違えることは御座いません」
「ならばいい。では、行ってくる」
「どうか、お気をつけて……」
玄関まで見送り、庭の彼方に消えゆく背中を見つめる。街道へ出たら、馬車というものを使うらしい。
無事に主人の出発を見届けると、午後の仕事を開始する。天気の良いうちに外の仕事、まずは洗濯物の取り込み。朝に干した布団や服も、春の陽光で既に乾いていることだろう。朝より風も出てきており、ばたばたとたなびく洗濯物を取り込んでいく。干しに来た時はずっしりと重かった籠もずいぶんと軽くなった。そのままリネン室で折り畳み、そこの棚と、自分の部屋、主人の寝室へ衣類をそれぞれ納めにいく。そして再び外に出て、次は屋敷を取り囲む庭園の手入れ。色とりどりの草花に鋏を入れながら様子を見る。日の光を浴びて生き生きと伸びる草木は自由で美しい。明日主人の出かける用事がなければ、ここで昼食を共にしようなどと考えながら、主人のお気に入りのガゼボに舞った花びらや塵を掃いていく。
うっとりと夢想しながら余分な木の芽を摘んでいると、突然、カンカン、と乾いた大きな音が響いた。ドキリと心臓が跳ねた。あまり聞き慣れぬ音ではあるが、玄関扉についている若獅子を模したノッカーの音である。滅多にない来訪者。会話をしてはいけない、姿を見られてはいけない。館の外壁に寄り添ってじっと息を詰めたが、何度もノッカーは鳴らされ続けた。
「ジェンキンスさん。……カミーユ・ジェンキンスさん!」
主人の名を呼ぶ、若い男の張り上げた声。そんな"音"を聞くのは初めてだった。
……怖い。怖い。怖い。
屋敷には入らずとも、庭に回られては姿が見つかってしまうだろう。アーリンはそろそろと裏口から屋敷内へ戻った。主人の名を呼ぶ声は次第に怒号に変わり、理解できない音が頭上を滑っていく。金切りのように不快な音。脳が拒絶している。ノッカーも荒々しく、間髪入れずに打ち鳴らしている。耳を塞いで、壁に凭れてうずくまる。どうしよう。こんなことは今までなかった。どうすればこの音は止むのだろう。旦那様。旦那様。
冷や汗が全身を伝い、呼吸が途切れる。"旦那様は不在です"と慣れない文字でもメモに書き記して、ドアから滑らせればいいのだろうか。けれど、それでは人がいることを証明してしまう。何か尋ねられたら、答えられない。それで諦めるのだろうか、この得体の知れない悪意は。
ハァハァと喘ぎながら震える手を耳に押し付け、じっと縮こまる。助けて……助けて。
言いつけを破っても、主人は許すのだろうか。表に出て事情を話せば、この不快な音の主は帰るのだろうか。恐怖に錯乱しながら、玄関へと地を這っていく。わずかに震える玄関扉に触れ、声を出そうとしたその時……やにわに音が止んだ。
しばらく玄関扉の向こうでうろうろとしている気配は感じたが、やがてそれも去って行った。あたりにはかえって静寂が満ち、耳の奥にキンキンと反響する感覚だけが残っていた。しばらくして鼓動も落ち着き、震えも収まったが、あれがもし周囲を見回っていたら、と思うと庭には出られなかった。幸い、外の仕事はほとんど終えており、草花の手入れが中途半端に残ったくらいで明日に回しても問題はない。頭の調子が戻ってきたところで、のろのろと屋敷内の掃除に取り掛かった。
玄関、客室は毎日。元より今日やる予定だった二階の物置部屋に客用の寝室、屋根裏部屋。丹念に掃いて拭いて、仕上げにポリッシュをかけていると次第に調子が戻ってくる。終えてもまだ主人が帰ってくる様子はないため、ついでに厨房も仕上げる。時間を忘れて没頭していると、カンカンとノッカーが鳴った。ビクリと体が震え、昼間の恐怖が思い起こされる。
戸惑いながらホールに出るも、続くノッカーの音も怒号も聞こえない。ふと窓を見やると日が沈みかけていた。
「アーリン? 開けておくれ」
聞き慣れた、落ち着いた声が聞こえる。震える手で鍵を外し、扉を開けた。出かける時と変わらない主人の姿を認め、ようやく安堵した。カミーユは買ってきた小麦を預かり台に置き、薄い外套を脱いで差し出した。受け取った外套を簡単に整えながら主人の顔を見やると、カミーユは「どうした?」と目を見開いていた。一体何のことかと手元を確認していると、ふいに頬を撫でられる。自分でも気づかないうちに、涙が零れていたらしい。目元を親指でなぞられ、途端に顔が熱くなる。
「何かあったのか」
神妙な面持ちで尋ねられる。アーリンは咄嗟に首を振ったが、思い直して小さく頷いた。昼間の出来事を、ぽつりぽつりと打ち明けた。カミーユは神妙な面持ちで、静かに聞いていた。
「それは、災難だったなぁ。恐ろしかったろう」
尚も、砂漠の枯れ木のような手のひらで優しく頬を撫でる。アーリンは小さくゆっくりと、しかし何度も頷いた。
「恐ろしう、御座いました……」
「だが、大事がなくてよかった。……約束も正しく守れたことだ、今夜は慰めてやろう」
「……よろしいのですか」
塞いでいた気持ちが、パァと開いた。主人はふしぎな人物だ。自分自身初めての出来事でたまらなく不安であったのに、それがたった一言ですぐに瓦解される。自分のことを誰よりも──アーリン自身よりも分かっているのだ。
「あぁ、勿論。夕食を取ったら寝室で待っていなさい。私はもう食べてきたから」
「かしこまりました。すぐに伺わせていただきます」
アーリンは一も二もなく了承すると、小麦の袋を抱え厨房へ持っていく。ちょうど作り置いたパンも無くなる頃なので、明日はパンを焼こう。焼きたてなら主人の食も進むかもしれないから、少しだけ豪勢にしてもいいはずだ。などと頭の中ではいろいろな考えが巡るが、心が向かうのはただ一つだった。朝食に使った残りのローストビーフを手早く平らげ、自室に戻り髪を梳く。黒々とした長髪は主人のお気に入りで、一夜を明かす際はよく触れてくれる。
簡単に身支度を整え、二階の寝室へ向かった。昼食をとった後から変わらず、整えたベッドには皺一つない。そわそわと落ち着かないが、いつものように椅子に腰掛ける。期待に何度ため息をついたことだろう。昼間のそれとは違う気持ちで、胸が早鐘を打つ。
所在ない手をテーブルに乗せ焦れていると、書斎の扉を開閉する音が聞こえた。ハッとして振り向き、寝室の扉をじっと見つめる。絨毯を踏むかすかな足音、そして控えめな木の軋みを鳴らした後、静かに扉が開かれた。
──────────
まず目に入るのは見慣れた黒髪の使用人。二人で住むには広すぎる屋敷を、毎日文句の一つも言わずに手入れしてくれている。いや、文句でなくともそもそも感情の機微をあまり露わにしないのだ。使用人としては褒められるところだが、二人きりで他に会う者もいない生活の中、まるで我が子のように思っている彼の豊かな表情が見られないのは寂しくもある。今日は不意に涙を見てしまい動揺したが、訳を聞いてみれば留守番する幼子の不安のそれだ。もう二十は越えたはずで、身体はすっかり大人びたものの、外に出さないでいると精神は未熟なまま育ってしまった。それをこうして不憫に思うこともあるが、この子に不満は無いようだった。だがそれも「本当の世界」を伝えない自分の所為になるのだろう。それならば、せめて与えてやれる悦びは全て注ぎ込んでやりたい。
白い肌を僅かに上気させ、こちらを見つめる黒曜石の輝きは真っ直ぐに届く。期待と緊張をはらんだ薄い唇は一文字に引き結ばれて、妖艶なはずの顔立ちを幼く見せている。何も言わずとも、求めるものは分かっている。肩に触れると、びくりと身体を硬直させた。見上げる頬が更に赤みを増す。手に力を込め、彼が立ち上がるのを促す。壮年なれど、亜細亜の華奢な背丈は老いた自分よりも頭一つ分ほど小さい。折れそうな細い腰に手を回すと、余計に身体が強張った感触が伝わった。しかし見上げる瞳は期待に満ち、熱を帯びた瞳が零れそうに細められている。これだけに近くあれば、細い目と薄い唇の僅かな動きでも千変万化を感じ取れる……自分だけに仕える、他の誰の目にも映らない嫋な花。折れないように支え、被さるようにして唇を重ねる。ゆっくりと角度を変えながら、何度も接吻を交わす内に固く結ばれていた口の端が綻び、強張っていた全身が解けていった。舌を伸ばして歯列をなぞると、背中に回された手が力強く震える。重なる接吻のあわいに息を継ぎ、耳まで赤らめたとろける顔で次を次をとせがまれては止めることもできなかった。差し出される赤く細長い舌を食み、音を立てて吸うと一層腕の力が強まる。あえかな喘ぎ声が息を継ぐたびに漏れていた。
「はぁ、あっ……旦那様……旦那様…………」
細まなじりに涙を浮かべ脚を擦り合わせる姿が、カミーユの興奮を揺り動かす。膝を折る前にベッドへと導き、共に折り重なると、誘うように見上げるアーリンの顔は影で暗く、背徳感を煽られた。それでも求めるのは接吻らしい。粘度を増した唾液が糸を引き、涎のように口の端に垂れても気にしていない。口内で混じり合った唾液をこくりと飲み下し、溢れる液でてらてらと濡れた唇を赤い舌で舐め取る姿は蠱惑的というほかなかった。そしてまた肌に顔を寄せ、頬や鼻や首筋にも甘く吸い付いてくる。
「今日はいつにもまして甘えるじゃないか。そんなに怖かったのか」
「……はい…………それと、旦那様がお帰りになって、とても安堵いたしましたから……」
「そうだったか」
「……うれしう御座います。今宵だけでも、離さないでくださいまし」
初心な娼妓の稚拙な誘い文句。それでもこれだけの美貌の前では、どんなに機知が効いた言葉にも勝るだろう。白磁の肌、対照的に胸元まで垂らした緑の黒髪。すっきりとした切れ長の目にキュッと上がったまなじり、小さくつんと尖った鼻。薄く小ぶりな口に筋肉も脂肪も薄付きの華奢でしなやかな細躰。と、ここ英国の地で良しとされる美とは大きく離れているはずなのだが、何故だかえも言われぬ色香を感じさせる。とりわけ顔に関しては不思議ばかりである。未だ穢れを知らぬ少年のようでもあり、手練手管に長けた娼婦にも似た、そのどちらをも内包したアンバランスな艶美さ。ただ眺めるだけでも飽きぬこの貌が羞恥に染まる様を見て、その気にならない者はいまい。
赤く火照った頬に触れ、指先で首筋へと辿っていく。そのまま身体の中心に向かい、服の上をなぞる。眉根をひそめ、くすぐったそうに身を捩る。首から胸、首から脇、二の腕と何度も丹念に指で掃くとその度にふるふると震え、甘い吐息を漏らした。未だ触れていない胸の突起が、布一枚を隔ててピンと立つ。
「あっ……あぁ、旦那様…………胸が……彼処が、切のう御座います……」
涙を滲ませて訴える瞳を追うと、薄い下衣の中心が不自然に持ち上がっている。そこから伸びる脚ももじもじと、落ち着かなげに焦れていた。
「ふ……まだ触れてもいないだろう。気が早いな」
「はい……でも、もう…………」
細い目を更に伏せて、羞恥に震えている。しかし同時に、更に深みを増す顔の朱と少し荒い吐息が期待の表れでもあった。本体になるだけ触れぬよう下衣の中心を寛げてやる。女物とそう変わりない窮屈な下衣に抑えられていたそれが、ゆるやかに屹立していた。中性的な──女と見紛えても不思議はない──肢体に似つかわしくないそれが、空気に触れて張りを強める。しばらく眺めていると、次第に腹に沿うように反り返り、細く小さな鈴口から透明な液がほとほとと滴り始めた。アーリンは赤くなるほど爪先に力を込め、熱く浅く吐息を震わしている。
「あ、あ……あまり…………ずっと、見られては……」
「何もせずともいってしまいそうだな」
「……嫌……嫌です………」
瞳を潤ませ、力なく首を振る。それでは、とカミーユはナイトテーブルの引き出しにしまっている小さな銀製のリングを取り出した。多少の開閉ができるように端が途切れており、内側に三つほど丸い突起がついているそれを、アーリンの口元に差し出し、いつものように舐らせる。小さく開かれた口は湿った水音を立てながら、時折カミーユの指ごと咥えて丹念に唾液を絡める。ぼうっと蕩けた目を向けて無心に指を吸う姿は倒錯的に見えた。しかし放っておくといつまでも止めないので、十分すぎるところでリングを引き抜き、滴るほどに涎が絡まったそれを勃ちきったアーリンのものに通し、ゆっくりと根元に向かって滑らせた。
「んッ……────!!」
アーリンは唇を噛み締め、シーツに爪を立てた。潤滑液が付きすぎたリングは指先が滑るため、もう片方の手で茎を支える。熱く、赤く、ぬめりを帯びた陰茎はそこだけが異質で、身体とは別物のようだが、今これが目の前の肢体の全てを支配しているのだ。皮膚の上からうっすらと色を浮かせる血管をなぞると、脚が震え腰を浮かせようとする。あ、あ、と震える喘ぎが絶え間なく起きる。最後は窮屈だが、力を込めて無理やりに落とし込むと甲高い悲鳴をあげた。
これで簡単には萎えることも達することも出来なくなった。つまり自分の意思に関わらず、激しい官能を内に留め続けなければならないということで、通常では苦痛に属する感覚である。しかし、この身体はそれを苦痛と同時に快楽として甘受する。ガクガクと脚を震わせながらも腰を浮かし、汗みずくに悶えている。射精できないと分かってはいても身体が必死に精の解放を求める様は、どんな美貌をもってしてもはしたなく、所詮は性欲に抗えぬ肉の器であることを晒していた。脚のあわいに膝をつき、腰を浮かせないようにのしかかる。カミーユのズボンが生の性器に擦れ、アーリンはびくりと背中を仰け反らせた。甘くうわずった声で、懇願するように喘ぐ。
「お前はどのようにしてもひどく感じるね」
言葉にならないのだろう、こくこくと頷く。腰を落ち着けても、脈を打つような間隔で下からびくんびくんと抵抗を感じる。上気した頬には幾筋も涙が流れ、汗と混じって髪を濡らしていた。
「夜はまだこれからだというのに、この調子では果てには狂ってしまうよ」
「はぁ、あ……、だ、旦那様の、前でしたら…………どのようにでも……」
「……お前はいつだって可愛いことを言ってくれる」
言いながら、アーリンの纏う上衣の鈕を外す。中国人の商人が売っていた本場の旗袍は色も柄も鮮やかで、それ一枚で完成された美がある。英国にあるどんな衣装とも丸っきり違っていた。白く細いアーリンの身体にはこの上なく調和しており、気に入って着せているのだ。鈕を外すために布を持ち上げる度、脚がビクつき甘い吐息が漏れる。鮮やかな朱地に金のパイピングが施された厚布を開くと、顔よりも更に白い、うすらと青みかかった肌が露わになった。筋肉も脂肪も削ぎ落とされた白磁の身は、発育途上の少年のようでなまめかしく倒錯的な情欲を刺激する。胸は男であるにも関わらず、長年の開発によって薄くなだらかな弧を描き、その中心だけが桃色に染まって、先端は既に固くしこっていた。わずかな左の膨らみに手をあてがい、円を描くようにくるくると撫でる。手のひらの中心で固いものが転がり、嬌声が大きくなっていく。カミーユは覆い被さるように上半身を折り、快楽に震えるアーリンの耳に口付けた。
「昼間はいつもなんてことない顔をしているのになぁ。何時のあいだにこんないやらしい身体になるのだろうね」
顔を背けようとするのを右手で阻止し、耳の縁取りを舌でなぞると短い叫びが上がった。汗のうっすらと苦く辛い味が口内に広がる。ピアスが通った薄い耳朶を食み、裏や耳孔の隅まで舐る。背中に回された腕が、ぎゅううと乱暴にシャツを握りしめた。力を入れて必死に閉じようとしていた脚が次第に開き、腰を持ち上げるように折れた膝をシーツにつける。より重圧の増した股間の感触が、ずりずりとゆるやかに動き始めた。あぁ、もう限界か。
「……アーリン、やめなさい」
「はっ……あ、あっ……あ、あ、あ…………」
はたはたと涙を流しながら力なく首を横に振る。理性で性感を抑えることが出来なくなっている。息も切れ切れにか細く鳴いて、こちらの胸に顔を埋めた。もうだめです、とうわ言のように繰り返しながら嫌々と顔をこすりつける。カミーユは腰を浮かせ、わずかに離れた胸の隙間から下腹部を覗き見た。痛々しいほどに赤く腫れた性器が浅ましく揺れている。アーリンのやわらかにしなった関節が、腰を更に高く持ち上げる。下や横から見れば、どんなに滑稽な姿だろう。こうまでしても自身の手で慰めないのは、長年の教育の成果であろう。仕込んだ甲斐があったものだ、とカミーユはほの暗い快感を得た。アーリンの小さな頭を掴んで仰け反らせ、だらしなく開いた口内に息を吹込みながら下半身を横へとずらす。留め切れなかった、口内から溢れる唾液を指ですくい取り、そのままアーリンの限界まで反り返った幹につ、と這わした。
「あ……──ッ! …………!!!」
喉を引き攣らせ、首を限界まで反らして声にならない叫びを上げる。指の腹で液を伸ばし、包み込んでゆっくりと扱くと、アーリンの薄い胸が、あばらがはっきりと見えるほど突き上がり、激しく上下した。
「あっ、あ、あ、あ……はぁ……あ…………」
「いけたか。まだ出していないから物足りないだろうけれど」
「あ……だ、旦那様…………まだ……まだ…………」
汗でへばりつき乱れた前髪を優しくかき上げ、広い額に口付けする。そのまま、まだうっすらとぬめりの残った指先で胸の突起を押し潰すように撫でつけると、切なくこちらを見上げる使用人は身を捩った。一度脇腹へ手を流し、あばらや胸の周りなどをほんの少し触れる程度に撫でていく。全身が性感帯になったが如く、アーリンはかすかに声を漏らしながら快感に感じ入った。色づく胸の輪を指先でなぞり、じわじわと中心へ近づけていく。緩やかな刺激を逃すまいとするように言葉少なにうっとりと目を細めていた。
「お前は分かりやすいね、そんなに気持ちいいのかい」
少しずつ腰を上げながら、アーリンは力なく何度も頷いた。うすらと開いた目は涙で滲んで、とろりとした黒曜石の瞳が大きく見える。突き立った胸の先端を軽くつまみ、くるくると左右に捻る。はぁはぁと荒く息を継ぎながら、焦点の合わない目で自身の玩ばれる胸元を眺めていた。優しく撫でたり指の腹で転がす間に、強めの力で引っ張り弾く。その度にビクンと胸が震え、呻きのような嬌声が上がった。そしてまた肌と肌がかすかに触れるほどになぞっていく。じりじりと、少しずつだが確実に快楽を内に留めており、身じろぎと声が激しくなっていく。焦れてこちらに差し出すような動きではなく、責めから切実に逃れたいように見える。あぁ、もうすぐだ……とカミーユは経験から分かっていた。だが逃しはせず、止めることも強めることもしない。こちらも夢中になりながらいじめっ子のような気持ちで胸を撫で回し続ける。
「……────ッ」
ふいに声と動きが止まる。背中を歪つに反らし、膝をついたまま腰を高く突き出したあられもない姿で、張り詰めた糸のように全身の筋肉が硬直していた。強く閉じられた目から伝う涙だけが流動的で、大きく開かれた口は少しの音もなかった。
そうして──ほんの数秒であるはずだが、とてもとても長く感じた──暫しの無音の後、突然ガクッ、と腰が下がった。そのまま、今度は甲高い悲鳴を上げながらビクビクと痙攣する。女のエクスタシーに近しい絶頂に襲われ、身も世もなく喘ぎのたくっていた。胸から手を離してじっと見つめているとやがて声も収まり、やっと全身の硬直も弛緩していく。アーリンは肩を上下させ、汗みずくに睫毛を震わせながら熱っぽい視線をカミーユへ向けた。しかしまだ脚のあわいに伸びる細木は萎えておらず、腹に寄り添うように反っていた。カミーユは何も言わず、アーリンの残る下衣を剥ぎ取り、上半身を支え起こして旗袍を脱がした。目の前の肢体は一糸纏わぬ姿となったが、もはや恥も衒いもなく、ただ生のままに美しく目の前に在った。そしてカミーユは自身のベルトを引き抜いた。一度ベッドから降り下着ごとズボンを脱ぐ。半分以上屹立した老齢の主人のペニスを見て、アーリンは息を呑み、わずかに身じろぎした。その様子を意にも介さず、カミーユはシャツやその他衣服を全て脱ぐとヘッドボードに凭れるように座り、手招きをして膝にアーリンを乗せた。向かい合い、目線の高さが同じになる。そこから少し膝を立てるとアーリンを見上げる形になり、大きな童子はバランスを取るようにしなだれた。
「あぁ、やはり良い眺めだ」
「……旦那、様…………」
うっとりと、嬉しそうに頬を染める。ふわりと顔が近づき、啄むような口付けが落とされた。未だ肉体関係に至らぬカップルのような接吻を何度も交わし、両手が首に回される。カミーユも左手をアーリンの後頭部に回すと、今度は離れぬように押さえつけた。じりじりと、唇を寄せたまま角度を変える。互いに舌を差し込み、今度は息も忘れるほどに貪り合った。下品に音を立てながら、口腔の隅から隅まで犯すように舐り合う。言葉のない語らいを続けながら右手でアーリンの腰を寄せると、真ん中で二人の半身が触れた。ぴくりとアーリンの肩が揺れ、くぐもった声で呻る。やっと口を離すと、幾筋も糸を引き、口の端には細かな泡が立っていた。身を起こし、枯れた手のひらで二本の生根をまとめて包み込む。真上から見て密着した境目をめがけて口内に溜まった唾液をたらたらと落とすと、生暖かい液が鈴口から、少しの粘度をもって幹へ流れ落ちる。あぁ、と喘いでアーリンは下半身を強張らせた。その液を潤滑剤に、ゆっくりとしごいていく。根元まで力強く滑らせる度、鈍色のリングの感触だけが手のひらに違和感を与える。ぐちゅぐちゅと泡立てながら上下左右に、熱い肉茎の全身へ擦り込んだ。眉をひそめ、悩ましい喘ぎが耳元で響く。
「あっ……はぁ、あぁ、ん…………」
「……アーリン、外そうか? 外してほしいか?」
「はぁ……はい…………あ、はぁ、はずして…………くださいまし……」
中指と親指で根元のリングをつまみ、ゆっくりと上に引き上げる。限界まで膨らんだ竿よりも小さい小径で、唾液で滑りを良くしても先は長いように見えた。アーリン自身も限界が近いのか、声を殺してカミーユの肩に顔を埋めて堪えている。ふっ、ふっ、と獣じみた吐息が胸にかかる。じりじりとリングをずらし、内部の突起が元あった位置から完全に外れたとき、伸び上がった細い若茎がどくりと波打った。ついで、小さな鈴口から真っ白な精液が静謐に湧き上がる。勢いはなく、先端を覆うようにだくだくと、しかし止めどなく溢れ出した。アーリンは涙混じりに気の抜けた声を絶え間なく漏らし、時折ビクンビクンと腰を揺らした。ようやく精を放った陰茎は萎え、白濁液を吐くごとに膨らんでいた幹が少しずつしぼんでいく。しかし、頭をもたげコックリングがするりと抜けた後もなお、たらたらと絵の具のように真っ白な欲を吐き出していた。カミーユは力なく胸に寄りかかる頭を上げさせ、愛しい顔をじっくりと見つめる。放心した表情で、瞳が見えるぎりぎりまで細められた目からは幾筋も涙の痕が垂れていた。睫毛は濡れ、僅かに開いた小さな唇を、深く熱い吐息が切れ切れに震わせていた。
「はぁ、ずいぶん我慢したなぁ」
汗が光る額に口付けを落とし、よしよしと頭を撫でる。アーリンは気恥ずかしそうに口の端を笑みながら、身体をシーツの上に移し、横向きに寝そべった。カミーユも仰向けのまま並んで寝るとアーリンは胴に手を回し、カミーユをひしと抱きしめた。甘えて眠るように目を閉じているが、下半身の余韻に感じ入っているようだ。互いに脚を絡ませ、ぴりぴりと震える余韻を共有した。
少しして射精後の倦怠が遠ざかると、アーリンは細くしなやかな指でカミーユの屹立する根を優しく掴んだ。表面に浮く血管の脈打つ感触が指を伝い、アーリンの左胸の鼓動が早くなるのを、カミーユは重なった身体から感じる。カミーユの賜物も普段の装いからは想像もつかぬ、太くみっしりと張り、赤々と漲るものだった。熱く逞しい茎をしごきながら、アーリンは目の前に広がる、薄く皺の多い身体に唇を寄せた。舌をべっとりと肌につけ、じゅる、じゅると唇で吸いながら脇、胸と辿っていく。褐色の萎びた乳輪を、真赤で艶のある舌を伸ばしてちろちろと刺激すると、反射で乳首が勃起していく。アーリンと違いあまり性感を感じはしないが、主人を悦ばせようと愛おしそうに舐る姿は愛らしく、股間の幹は張りを強めた。顔を傾いで赤子のように先を吸った後は、また同じように臍、そしてその下へと蛞蝓が這うように口で愛撫していく。そのまま、性器の根元まで進むと白髪交じりの叢に顔を埋め、湿った吐息で毛を濡らしながら、垂直に伸びる茎の根元を唇で包み込む。塗り込まれた汗や唾液、精液をこそぎ落とすように舌先と唇で裏から表、下から上へと丹念に舐っていく。ざらりとした舌で幹が擦られる度、猥らに音を立ててやわらかく吸われる度、その中心に血が集っていくのを感じる。裏筋を舐め取るために見えた顔はぽうっと蕩けていて、夢中でしゃぶっているようだった。亀頭の下まで舐め上げ、くびれを舌先でぐりぐりと刺激する。痺れるような甘い痛みが全身に走り、脚がびくりと動いた。舌先で器用にぐるりを掃除し終えると角度を変え、上から覆い被さるようにして躊躇いなく先端を口に含む。俯く横顔は朱に染まり、乱れた髪を後ろ手にかき上げ向こう側へ落とすと、白いうなじが汗で光っていた。亀頭が熱い、熱い、融けるような口内で、舐られ、転がされ、しゃぶられ、吸われ、思わず声を出しそうになる。先走りが既に出てはいるはずだが、定期的に鈴口に捩じ込まれる舌先の唾液と混じり、覆われ、知らぬ間に己から離れていく。頭が白んでくる、純粋な快感。唇を幹の外周にまとわりつかせ、ゆっくりと頭を沈ませていく。上から下まで柔らかくぬめった内臓に包まれ、熱く濡れていく。同時に手のひらで包んだ陰嚢を軽く揉まれ、ついに我慢できずに喘ぎが漏れた。細くつりあがった横顔の目がちらりとこちらを向き、更に官能は昂ぶった。既にめいっぱい頬張っているはずだが、その上でもう一段階首を落とされ、喉のカーブに沿ってぬるりと陰茎が曲がり、細い食道の壁で亀頭が圧迫、いや蹂躙される。あぁ、好い、好い……白い閃光が脳を横切り、我に返る。放出。どくどくと、熱い口内で自身が脈打っている。アーリンは口を離さず、ただじっとしていた。射精が終わり、支えられて上を向いているだけの陰茎はやわらかに萎えていく。それでも解放はされなかった。唾液やら精液その他が零れ落ちないようにするためか、口を窄めゆっくりと引き抜いていく。再び雁首の下まで戻ってくると、口内に満たされた汗と唾液と精液と、をこくこくと飲み下した。茎を緩く手でしごき、何回か搾り出される残滓までも舌に絡め、咀嚼し、喉に収める。
軽いまどろみの中で、アーリンと出会った頃を思い出す。言葉も分からない小さな子供で、意思疎通が容易に出来るようになっても寡黙で大人しく、素直な子供だった。屋敷と庭から出ることも他人との交流も一切断たせた。それでも何も望まず、ただ日々を過ごしていた。自由がほしいと、言わなかったのは、単にそう出来ることすら知らなかったのではないかと思う。特に疑問も不満もないように見えたが、そんな姿すら痛ましいと、傲慢に感じる己の罪の意識から逃れようと、何も知らない童子に色事を教えた。生殖本能から外れた、ただ快楽のみを求めるまぐわい、他の動物にはなし得ない人である証。幼子は全てを受け入れ、飲み下し、いつしか阿片と同じにすっかり虜になっていた。清廉で純朴だった、穢れを知らぬ天の御使いに罅を入れた。今ではこうして自ら口腔を犯したり、快楽を求める、はしたない、汚らわしい行為を望む只の俗人へと堕とした。一度触れれば戻る事のできない薄氷を私が踏んだのだ。そして今もなお、自身を堕とした私を愛し、求めている。仄暗い背徳感と達成感に心が酔いしれる。この世で私しか知らない隠匿の子供。私しか知らぬのだ、この哀れな痴態を、命令一つで浅ましく脚を広げ、強請り、秘所を舐るような姿を。
ハッ、と気がつくと、先ほどと変わらぬ姿勢で口淫に耽るアーリンが目の前にあった。輪にした親指と人差し指で竿を擦り、直角に持ち上げながら睾丸を口に含んでいる。ぴちゃぴちゃと水音を立てながら舌や唇、あるいは内頬の肉でねっとりと舐る。性感全体がやわらかい、天鵞絨に包まれるような心地だった。目が覚める甘痒い感覚が甦り、精を放ったばかりの肉茎が再び勃ち始める。口淫だけでは飽き足らない、アーリンが何を求めているかは分かっていた。
「そのままで、脚だけこちらに向けなさい」
顔を上げ、こくりと頷いた。今更何を恥じらうかとも思うが、アーリンは目を伏せて照れ笑いながら、おずおずとカミーユの身体を挟み頭を違える形で四つん這いになった。カミーユの象徴を片手で握り、今度は手のひら全体で愛撫し始めるが、羞恥からかどこかぎこちない手つきで擦る。生白くつるりとした尻が持ち上がり目の前に差し出される。開いた股からだらりと下がるしなやかな陰茎も、そこから胴体へと繋がる会陰も、その上の窄まりも、普段は薄い絹地に鎖されたそれらが、眼前でくっきりと露わになっている。骨盤からすっと伸びたすべらかな直線と直線のあわいに存在する隘路を撫でると、生娘のような高い嬌声が上がった。その真上へ道を伸ばし、菊の中心に指をかける。空いた左手で張りのある尻肉を持ち上げると双丘のあわいがぱっくりと開かれた。その暗い孔の中へ、舌先から唾液を流し込む。あぁっ、と鳴いて下半身が強張った。固く閉じた小円を、唾液を纏わせた指で撫で回し、じりじりと解していく。カミーユのペニスを握る手が震え、腿や腹に汗が滴った。呼吸の合間に力が緩む隙を捉え、中指を差し込む。苦悶の声が漏れるも、第一関節ほどまでが埋まった。更に唾液を足しながら、少しずつ抽挿を繰り返す。中は熱くぬめって、狭く圧迫してくる肉壁を押し分けて進んだ。アーリンの呼吸に合わせて中へ中へと突き進んでいくと、あっという間に指の根元まで咥え込まれていった。
「あっ……はぁ、あ……そ、こは…………」
「ふふ、全部入ったな……今日は一段と欲しがりじゃないか?」
「そんな……あぁ、違います、いけません……ッ、……いや、いや……お止めください……」
「嘘を吐くんじゃない。本当に欲しいのはこの先だろう」
「あッ、ん…………は、い…………っ……」
入り口を拡げるように、ぐりぐりと指を捻りながら内壁を抉る。アーリンはカミーユの右脚を抱えるようにして突っ伏し、左右に髪を振り乱した。艶めかしい嬌声を上げながら、後穴を犯す指から逃れるように身を捩る。もはや口淫も手淫もままならず旦那様、旦那様とうわ言めいて繰り返していた。指を勢いよく引き抜く。びくりと腰が跳ね、左右に開いた細い脚がガクガクと震えていた。指で犯していた後孔は形を覚えてぽっかりと空き、呼吸をするかのように伸縮している。次いで人差し指も揃え、二本の指で再び穴を塞いだ。くちゅくちゅと湿った音を響かせながら、きつく締まる内部をかき回す。指を腹側に向け、壁に擦りつけるようにして抜き挿しを繰り返すと、一際甘い声が跳ねる箇所がある。そこを探り、ピンポイントで刺激し続けた。
「ああぁ、あっ、駄目、ですっ…………あ、いく、いっ、い……ッ!」
絶頂に達したアーリンは大きく背を反らし、腰をビクンビクンと痙攣させた。それでも指は抜かず、同じ箇所を責め苛む。嬌声は声を上げる毎に大きくなり、もはや悲鳴と変わらなくなっていく。自分でも制御出来ないのであろう、腰のうねりは激しく、何度も波打った。三度ほどいかせようやく指を引き抜くと、アーリンはふらふらと横に倒れた。肩を大きく上下させ、腹から下はまだ時折ピクピクと痙攣している。
それでも少しして息を落ち着かせると、アーリンは上体を起こしこちらに目を向けた。細くとろけた、焦点の合わない目。魔性のそれでカミーユの下腹部を一瞥すると、脚を引きずるようにして近づき、腹の上に跨った。山なりに折ったカミーユの膝に後ろ手をつき、上半身を引き上げる。無感動に見下ろす顔、細く薄い胸、腹、脚。どれもがしなやかで、真直ぐで、非人間じみた白さを保って、この世のものではないと思わせる美しさを感じた。しかしすぐに彫刻のような表情は崩れ、苦悩に目を伏せる。左手で真下に立つカミーユの肉茎を掴むと、己の窄まりに導きながら腰を落とし深く息をついた。ぬるり、と先端が熱い肉に包まれ、全身に鈍い痺れが走った。アーリンはカミーユの膝に手を戻し、怒張した肉茎をゆっくりと呑みこんでいく。
「はあっ……はッ、あー……ああぁ…………」
いいところに当たるのか、時折びくりと脚を震わせ中をギュッと締め付けた。絶え間ない内部の蠕動に、こうした不意の刺激が加わり頭がくらくらと揺れる。アーリンは疲れて間延びした喘ぎを繰り返しながら、それでも少しずつ己の内部にカミーユを沈ませていく。細く皺寄った指の二本とは、比べ物にならない太さのものを挿れているのだ。隘路を先端でこじ開ける、一番敏感な性器にまとわりつくにゅるにゅるとした熱い感触に、いつ果てようとおかしくない官能を味わった。時間をかけて根元まで全てを呑みこんだが、アーリンは苦しげに眉をひそめて動こうとしない。伏せた睫毛を震わしながら、荒い呼吸を繰り返していた。カミーユは、アーリンの折れそうなほどにたおやかな腰を抱き、上半身を引き寄せた。腹と、胸とが互いに密着し顔が間近に迫る。切ない顔をした童子の頬を擦り寄せ、ほんの少し目を合わせ、濡れた唇を食んだ。きゅん、と下のものが更に締め付けられる。互いが互いしか認知していない二人ぼっちの世界で、一つになりたいとでも言うように抱きしめ、深く口付けを交わした。首のあわいからほのかに蒸発する汗の熱気に、頭の中がうっすらと白んでいく。吐息と粘液が混ざる音だけが耳に響く。それでもじわりじわりと腹の奥が熱くなり、息も忘れて二人は性感を高め合った。
突然、アーリンの舌が止まる。口付けたまま、全身が数秒強張ったかと思うと突然弾けるように腰を波打たせ、収めた陰茎をぎゅううと締め上げた。先ほどよりも一層強く、腰の振動も加わりカミーユは敢えなく果てた。精を放ち、狭い内部に満ちる。萎えていく陰茎の最後の脈動に合わせて、アーリンも中イキの余韻に甘く中を蠕動させていた。共に静かな絶頂を迎えようやく唇を離すと、アーリンは真赤な顔をしてはくはくと息を継いだ。カミーユの胸にしなだれ、ゆっくりと腰を上げて萎えたものを引き抜き、横に倒れこむ。カミーユも身体を横に向け、汗みどろに横たわるアーリンの乱れ髪を弄った。アーリンは幼子のように主人の胸に埋まり、時折くすぐったそうに肩をすくめながらも寄り添い、顔を見上げた。
「今日の気は晴れたか」
「……はい?」
「昼間に怖い思いをしたと言っていたろう」
「あっ……はい、それはもう…………」
「そうか、それはよかった」
アーリンの平らかな後頭部を抱き、艶のある黒髪に鼻先を埋める。抱かれる華奢な身体は一瞬身を強張らせたがすぐに緊張は解け、柔らかな腕をカミーユの背中に回した。
「……お前に何かあれば、私はどうにかなってしまうな」
「そんな……いつまでも、お傍におります」
「あぁ……愛しているよ」
「…………はい……嬉しう御座います」
幾度となく交わされた睦言。いつまでも、いつまでもと願う。
二人はひしと抱き合い、離れることなく眠りに落ちた。
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