モーゼスは本名を子姫という。母親はありとあらゆる変態プレイを請け負う売春婦で、父はいない。
子姫を身ごもっていた時も、「妊婦を蹴り飛ばしたい客」を募集していた。今までに十数人と子供を産んでいたが、みな施設に入れるか売り飛ばすかしていた。
なぜ子姫だけを育てるつもりになったかは分からないが、彼女はことあるごとに子姫を虐待し、「あんたは死ぬまで私の奴隷だ」と言い続けた。
まともに食事も与えられないまま育った子姫は年よりも華奢で、常におどおどと周りを伺っているような子供になった。全身痣や傷が絶えず、学校には女の子の格好をして登校させられた。友達はおらず、教師達も家庭事情を知りながら、見て見ぬふりをしてきた。
しかし毎朝顔を合わせる保健室の男性教員だけは心配し、よくしてくれた。自分を疎まない人間がこの世にいるのか、と子姫は疑いつつも徐々に心を開くようになった。その教師は授業に出ないことも許してくれ、保健室で勉強をするようになった。
子姫は生まれて初めて恋をし、次第に関係を持つようになった。
しかし、ある日いつものように保健室へ行くと、男の代わりに見たこともない女性が迎えた。先生はどうしたのかと尋ねると、あの人は二度とここには来ませんと告げられた。
「あなたはどう思っていたか知らないけれど、子供に手を出す大人はクズよ。あの人は教師も、この街も全てを捨てることになった」
新しく配属された女性教師は吐き捨てるように言い、子姫を気にかけるそぶりも見せたが、受け入れることができなかった。全てを失ったような絶望に打ちひしがれ、泣きながら家に帰ると、母が呑んだくれて寝ていた。目を覚ました彼女は子姫を認めるなりケタケタと笑い出した。
「昨日、おまえがクソな男教師をたらしこんだって聞かされたんだ。怒鳴り込みにいってやったよ。人様のものを使ったなら、ちゃんと金を払えって。慰謝料たってしけた金だけどね。だけどおまえもおまえだ。金も取らずに股を開くんじゃないよ、このあばずれ」
それからは、女の格好をした子供を虐めたり性交したいという客を相手にさせられるようになった。
やがて体つきがしっかりとしてくると、子姫目当ての客は徐々に減り、自由に外を出歩くことを許されるようになった。金の稼ぎ方を覚えた子姫は家に帰らないようになり、路上や売春相手の家を転々とするようになった。
昼間は毎日公共の図書館へ通い、本を読んだり勉強をしていた。いつものように勉強をしていると、李陽という青年に声をかけられた。
李陽は生まれつき病弱で、学校を休みがちなため授業についていけず、もっぱら図書館で勉強をしているという。同年代でおなじ様に昼によく来る人は少なく、気になっていたらしい。友達にならないか、と生まれて初めて受ける誘いに子姫は一も二もなく頷いた。李陽は病を感じさせないほど快活な青年で、勉強のできる子姫を会うたびに褒めそやした。
ある日、家に来ないかと李陽は子姫を誘った。李陽はよく母親に子姫の話をしており、いつか家に招きなさいと言われていたらしい。妙な不安を覚えつつも断る理由はなく、ついて行くと穏やかで優しい女性が出迎えた。
あぁ、滅多にないお出かけの日は自分の母もこんな顔をしていた、と思った。けれどそれは外向きの顔だ。家に帰るや否や笑みは崩れ、ほんのささいな言い訳と共に罵声とベルトの鞭を浴びせられるのが常だった。子姫の中の母親とはそういうものだったから、どの家庭も似た様なものだと信じていた。しかし、何度か李陽の家に招かれるうちにその思い込みは崩れていく。
そうして、月に二度ほど李陽の家へ通うことが日常化してきた頃だった。夕飯前に李陽と別れ繁華街へ向かおうとした矢先、待ち伏せをしていた母が目の前に現れた。
「やっと見つけた」
ねじり上げるように腕を掴み、家へと向かい歩き出す。
「あんたは奴隷だって言ったろう。あんたは死ぬまで私のものだ。そうだ、あの薄汚いガキとはもう寝たのかい。あんたがいつも何をやってるのか、教えてやったんだろうね?私が言ってやろうか。あんたは私のおまんこで育ったんだ、クソみたいな男共の精液に塗れて生まれたのさってね。いいかい、あんたの相手する奴なんざ変態か気狂いくらいさ。クズはクズらしく、クズのまんま死ぬしかないんだよ」彼女は癇にかかったように笑った。甲高い笑い音にずきずきと頭が痛み始める。耐えられなくて、この音を消すしかないと思った。
気が付けば、馬乗りになって首を絞めていた。母は抵抗するでもなく、けたけたと笑い続けた。
子姫は彼女が死んでも、腕が痺れるまで力を籠め続けた。赤い泡を吹いて息絶えた彼女を放置し、李陽の家の戸を叩く。驚きつつも中へ招き入れた李陽に縋りつき、子姫はことの顛末を吐き出した。
「母さんを殺しちゃった」
李陽はなだめながら、自首するべきだと優しく説いた。すると子姫はひどく狼狽え出した。
「貴方のせいだ。貴方に会ってから、私はおかしくなっちゃった。今までなんとも思わなかったのに。私が、貴方の母親みたいな人の元に生まれていたら、なんて考えるようになってしまった。どうにもならないのに。私はあの頭がいかれた女の子供でしかないのに。貴方のせいだ。貴方みたいな人を好きになったから、私はみじめだって分かってしまったのに。貴方のせいなのに、どうして警察に行けなんて言うの」
子姫は何も言えず唖然とする李陽を置いて、生まれ育った町を捨てた。
子姫は新しい街でも身体を売った。変わったとすれば、住み込みができる娼館で働くようになったことだ。
女という女を憎み、怯え、男という男を嫌悪し、見下し、そして虜にした。少しずつランク上の店へと移動しながら、話術を磨き、持ち前の美貌と性技で上客を付けた。淫売、あばずれと罵る母の声が頭に響いてももう何も思うことはなかった。安酒しか買えないようなはした金で、プロの娼婦でも断るような下卑たプレイを請け負うしかなかったあの売女とは違う。何度もそんな思いが反芻した。
ついには身分を隠さねばならないような客が利用する高級娼館で働いた。皇族までもがお忍びで来ると噂されている店だった。まさかとは思っていたがその実、現皇帝の弟がよく出入りしており、やがて子姫も気に入られることとなった。
その仲炎という男(勿論店では身分も名前も偽っていた)は色欲と支配欲が強く、しかし実のところ頭はあまり回らなかった。彼の調子に合わせておだて、搦め取り、甘い声を出せば操ることは簡単だった。子姫はこの愚かな男を愛した。
やがて愛人として買われ、後宮に囲われた。
仲炎の正妻はおとなしい人で、色に溺れる夫にも何も言及しなかった。子姫は幼い頃には想像もしなかった生活を存分に味わいながら、主と毎夜情交を重ねた。
全てが上手く行っていた。ある日、皇帝の訃報が訪れるまでは。
子姫はいつものように閨の中で、話を切り出した。皇帝が崩御したのだから、次は実弟である貴方が継ぐのでしょう、と。
しかし、皇帝には今年8歳になる嫡男がいるという。仲炎は当然という面持ちで、不思議そうに答えた。
「どうして貴方がお継ぎにならないのです。能力も力もある貴方様が、どうして帝になってはいけないのです。八歳の甥だなんて。まだ囀ることしか出来ない小鳥に、政の何が分かりましょう。」
国の決まりごとだ、跡継ぎが決まっているのにそれを覆すのは民も望んでいることではないと仲炎に諭されると、耳許に口を寄せ、装飾品をねだるような甘い声で囁いた。
「そんなの、殺してしまえばよろしいでしょう」
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という感じでサカエの暗殺を唆したのがモーゼス、という話。心の底では誰彼構わず憎んでいる子姫が生まれの良いサカエを妬んで殺そうとしたといえる。あとは頂点に立つ者の愛を受けたい、という子供じみた思いつき。けれど思っていたような寵愛を受けていたのは束の間で仲炎は若い娘に現を抜かすようになり、子姫は年をとっていく焦りで気が気じゃなかった。なのでサカエが生きていることが判明した時に自ら接触することを望んだ。妬んだ彼がどんな人間になっていたか気になっていたところもある。
一部、とある有名な猟奇殺人者の逸話をモデルにしています。
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